港南台のラーメン屋麺侍誠がお送りする今日の出来事第1話

2019/07/08 ブログ
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港南台でラーメン屋を営んでおります弊店、麺侍誠でございます。 

本日のブログは、今日7月8日に起きた出来事や記念日についてお話をさせていただきます。
 

大阪キャラクターとたこやき

ラーメン屋である、麺侍誠に近しそうな飲食店の出来事から1つです!

2008年大阪名物くいだおれが閉店した。ことについてです!
くいだおれとは1949年6月、大阪府大阪市南区西櫓町(現:中央区道頓堀1丁目)に山田六郎が創業と開店。
焼け野原となった大阪で「戦後復興期」に寄与することを目指し食堂として創業。創業者・山田六郎の意向から家族経営で支店などは存在せず、遺言にも「支店を出すな」「家族で経営せよ」「看板人形を大切にせよ」と記されている。
2008年4月8日、建物の老朽化や周辺環境の変化などを理由に同年7月8日をもって閉店した。

1959年にはくいだおれビルを建造、この際にもいち早くビル内すべてを空調設備完備とするなど環境設備を自慢とした。1階が総合食堂、2階が居酒屋、3階が日本料理店、4~8階が割烹お座敷があり、食材も集まる流通拠点・商業都市としての大阪のもう一つの顔でもある、全国各地の名産品が入ることから飲食店が発達している「食い倒れの町」としての側面を体現している。

尚、営業最終日である2008年7月8日は18時までの営業となり、5階から8階は関西の芸能人、文化人ら著名人を招待しての「最後の晩餐」を催した。閉店当日、くいだおれ太郎は「永いことありがとう。おおきに 太郎」という言葉を残し、弟の「次郎」と共に店頭に立った。午後9時前に女将が「大阪名物くいだおれは日本一幸せな店でございました」と言葉を残し午後9時、店の約59年の歴史に幕を閉じた。

港南台のラーメン屋、麺侍誠もくいだおれのように港南台にお住いの皆様に愛される店になるぞ!

店がなくなった今でもチンドン屋の格好をした広告宣伝用の人形のくいだおれ太郎は大阪観光名所の一つ道頓堀の中座くいだおれビルでお出迎えしてくれますし、大阪のお土産品で売られているので覚えている方は多いのではないでしょうか。

この店より有名な人形”くいだおれ太郎”の「くいだおれ太郎」という名前も実は、1994年まで存在せず、それ以前は店のくいだおれ側も「くいだおれ人形」と非公式に呼んでいただけで、明確な名前が付けられていませんでした。
しかし、1994年に関西国際空港が開港した際、「大阪を代表するオブジェ」としてアンセット・オーストラリア航空とルックJTBタイアップ企画として同空港第1便となるオーストラリア行きの旅客機に「乗客」として搭乗した。この時に座席指定を受けるために正式に名前が与えられた。同時にバンザイ人形には「くいだおれ次郎」という名が与えられた。

 

港南台のラーメン屋、麺侍誠もくいだおれ太郎のようなイメージキャラクター欲しいです(^ワ^)

ということで、くいだおれについてはいつもお世話になっておりますウィキペディア先生から教えていただきました。

 

中国茶のイメージ

続けて、記念日から1つです。

7月8日は中国茶の日
これは、NPO法人日本中国茶協会が制定しました。中国語の7(チー)と日本語の八(や)で「ちゃ」と読むことからの語呂合わせです。

そもそも、中国茶(ちゅうごくちゃ)は中華人民共和国及び台湾などで作られるお茶の総称です。

台湾独自のブランドである凍頂烏龍茶や、台湾特有の製法で作られる東方美人など台湾で作られるお茶を中国大陸の茶と区別し台湾茶の呼称を用いる場合もあるが、この項目では中国および台湾で製造され、かつ好まれて飲まれるものを「中国茶」として記述しています。
港南台のラーメン屋、麺侍誠はお水の提供をしていますが、夏はお茶を提供するのもいいのかもしれませんね! こってりラーメンをさっぱり中国茶が中和してくれて何度でもおいしく麺侍誠のラーメンが食べれますね

 

365日、日々毎日様々な出来事がありますし、これからも起きるでしょう。

港南台の麺侍誠でも日々様々な出来事が起きています。

楽しい話も残念な話も含めてこれからも少しでも皆様に話せたらと思います。

今後とも港南台で家系ラーメンを提供致します、麺侍誠を宜しくお願い致します!